片道切符と夢の話

浪華の七星と日向の坂道

虚妄はてなブログ 第13話

 

明日窮鼠見に行ってきます

めっちゃたのしみ

 

↓↓

 

話が終わって2人の方を見たら、丈くんの真剣な瞳と目が合った。
〔…なぁ舞佳、さっきの話やっぱり断れへんの?〕
〔傷つくだけの仕事なんて、やらんでもええ。〕
『そやで。そもそも、舞佳ちゃんに頼むこと自体おかしいねん。』
かずくんも、温厚な彼にしては珍しく語気に怒りを滲ませていた。
「大丈夫だよ、もう10年も経ってるし。」
「それに、私はパティシエだから。」
「私のお菓子が食べたい人がいるなら、作ってあげるのが仕事だから。」
はっきりとそう伝えると、丈くんが言った。
〔舞佳、そいつここに連れて来れるか?〕
〔打ち合わせとか、1人じゃしんどいやろ。〕
〔ここなら勝手もわかるし、俺たちもおる。〕
『俺たちなら、いつでも味方やから。』

なぜだろう、シリアスな場面なのに、お腹の中から笑いが込み上げてきた。
「もう。丈くんもかずくんも心配しすぎだって!」
「大丈夫。私、これでもプロなんだよ?」
「でもありがとう。お店、使わせてもらいます。」

結衣に先輩を連れて来てと連絡すると、《舞佳、いい仲間持ったね。》と言われた。
仲間。
それは今の私たちを形容するのにピッタリの言葉だった。

 

さすが私の親友だけあって、結衣は仕事が早い。
次の日には、重岡先輩がお店に来ることになっていた。
美しく晴れ渡る台風一過の空とは対照的に、私は朝から緊張でため息が止まらない。
〔舞佳、ほんまに大丈夫なん…?〕
『舞佳ちゃん、やっぱりやめた方が…』
「…だって、ウエディングケーキ任せられるのなんて初めてだから緊張しちゃって!」
昨日も、デザインのことを考えていたらなかなか眠れなかった。
〔…は?〕
『なんか、舞佳ちゃんらしいわ…』
だって、ウエディングケーキを作ることは私のパティシエとしての目標だったから。
素直に嬉しかった。
たとえそれが、初恋の人のものだとしても。

 

11:30。
重岡先輩は、約束の時間通りにやってきた。
その傍らにいたのは、愛理先輩だった。

《舞佳ちゃん、久しぶりやな》
〈まさか舞佳ちゃんにケーキ作ってもらえるなんて!〉
10年前と変わらない、優しい瞳を向けられた。
〈舞佳ちゃん、お菓子作り上手だったもんね!〉
〈大毅が私の作ったお菓子を美味しいって言ってくれたとき、やっと舞佳ちゃんを越えられた!と思って嬉しかったんだ。〉
愛理先輩のその言葉に、かすかな棘を感じてしまった。
そのとき、〔舞佳、ちょっと〕と、丈くんが割って入ってくれた。
《あなたは…?》
〔この店のオーナーの藤原です。少し岸田をお借りしてもよろしいでしょうか?〕

キッチンに連れ出され、丈くんが耳打ちしてきた。
〔お前死にそうな顔しとったぞ。あいつらの相手は俺がしたるからちょっと引っ込んどれ。〕
そう言い残し、丈くんはキッチンを出て行った。
『舞佳ちゃん…』
かずくんが、キッチンの隅から心配そうな視線を投げてくる。
彼の存在と、いつものキッチンに安心して思わず弱音を吐いてしまった。
『舞佳ちゃん、やっぱり…』
「ううん。やる。これが私の仕事だから。」
「でもちょっと苦しくなっちゃった。プロ失格だね。」

『失格なんかとちゃう。』

『舞佳ちゃん、優しいなぁ』

かずくんの言葉が、傷ついた心に染み込んでいった。

 

さっきから、丈くんが重岡先輩たちと話す声がドア越しに聞こえてくる。
〔舞佳、いや岸田はうちのパティシエです。〕
〔たとえ、あなた方が彼女の大切な人でも、僕は彼女の負担になることはさせたくないんです。〕
〔オーナーとしても、仲間としても。〕
〔お願いします、あいつを傷つけないでください。〕

 

胸が熱くなった。

丈くんもかずくんも、彼らなりに私を守ろうとしてくれている。

私が逃げたら、ダメなんだ。

その一言で、心が決まった。



「重岡先輩、愛理先輩、失礼しました。」
「ご注文、ありがとうございます。」

「完璧に仕上げてみせます。」

本格的な打ち合わせは別日にということになり、2人は帰っていった。
その後ろ姿に盛大に舌打ちし、丈くんが恨み言をつぶやく。
〔なんやねんあの女。舞佳のチョコレート食ったことないくせに。〕
〔お前のより絶対上手いわ。〕
『ちょっとあかんなぁ。あれは。』

『舞佳ちゃんに対する当てつけやん。』
〔そやで、だいたいなんなんあの重岡ってやつ! 彼女が嫌味言うても何の注意もせんと……〕
丈くんとかずくんは、自分のことみたいに怒っていた。

「ありがとう、丈くん、かずくん。」

「2人は、私にとっての最強の味方だね。」

 

 

 

 

 

丈くんに頑張ってもらいました

 

虚妄はてなブログ 第12話

フルートの音色すごく好きです

あんな可憐な音出したい人生でした(私はサックス吹き)

 

↓↓


あれから数ヶ月。
あのとき半袖だったブラウスは長袖に変わり、夕方には1枚羽織らないと辛くなってきた。
8月の夏の大会で3年生は引退し、重岡先輩は部長になった。
夏が終わっても、吹奏楽部の活動に変わりはない。
秋には文化祭も、地区の演奏会もある。
私たちは全国レベルの強豪ではないけど、練習には気が抜けない。
今日は部活が無いけど、私は自主練をするためにいつものように音楽室のドアを開けた。

ピアノの前に座る重岡先輩がいた。
「先輩、今日部活ないですよ?」
〈知っとるわい、俺部長やぞ。〉
〈舞佳ちゃんこそなんで?〉
「私は自主練です。」
〈ほんま熱心よな、舞佳ちゃん。〉
先輩は楽器をメンテナンスに出しているようで、ただただピアノを弾きに来たのだと言う。
私がフルートを手に基礎練習をしていると、〈なあ、〉と声をかけられた。
〈舞佳ちゃん、ソロ曲ってやったことある?〉
「ないですけど、なんでですか…?」
〈この曲、吹いてみいひん?〉
そう言って、1枚のルーズリーフを渡された。
「これは…?」
〈古いCD聴いてええなって思ったやつ耳コピしてん。俺が伴奏するから、吹いてみてや。〉
渡された楽譜に目を通し、軽く音を取る。
コラールだろうか、ゆったりしたテンポの優しい曲だった。
〈いけそう?〉
「はい。」
〈じゃあいくで、1.2.3.4〉
それは、想像通りの穏やかで美しいメロディだった。
伴奏が私の音を優しく包み込み、2人のハーモニーが満ちていく。
やっぱり、先輩のピアノは私のフルートと相性がいい。
あまりにぴたりとハマりすぎていて、少し怖くなるぐらい。
この人の音がなければ私はフルートを吹けなくなるのではないか、という疑念すら浮かんできて、こっそり身震いした。
夕暮れの音楽室で、私たちの音はまるで蜜月のように溶け合っていた。

演奏が終わり、先輩が立ち上がる。
〈舞佳ちゃん、やっぱり上手いな〉
〈ソロコンテスト考えてみいひん?俺伴奏やるで〉

嬉しい言葉だけど、うちの部活にはソロでの大会出場は2年生からという決まりがある。
「でも先輩、それは……」
〈あほ。1年生やろうと、上手い子にはきちんとチャンス与えるのが部長の仕事や。〉
〈先生と幹部に掛け合ったる。〉
「…ありがとうございます!」

 

でも結局、私がソロコンテストに出場することは無かった。
〈水谷がどうしても出たいって言うて、逆らえへんかった、枠埋まってもうた…〉
〈ほんまごめん。偉そうなこと言うたんに、できへんかった。〉
クラリネットの、水谷愛理先輩。
この部活の中で一二を争う実力の持ち主だ。
「…いえ、大丈夫です。」
「私には来年がありますし、それに、」
そこから先は言えなかった。
愛理先輩が重岡先輩のことを好きなことも、重岡先輩に伴奏してほしくてソロコンテスト出場を目指していたことも、彼以外の全員が知っている。

「それより重岡先輩、伴奏者なんですよね?」
「行ってあげてください。愛理先輩待ってますよ。」


部内随一の実力を持つ愛理先輩は、地方大会の1歩手間まで進んだ。
重岡先輩と愛理先輩が付き合いだしたというニュースが部内を駆け巡ったのは、ソロコンテストから数日後のことだった。

男子の先輩に冷やかされている重岡先輩をまともに見れなくて、しばらく自主練には行けなかった。

そんな私は、重岡先輩にやたらと腹を立てている結衣に励まされ、クラリネットとの練習が気まずいときは結衣のいるホルンパートに避難したりしながら、なんとか夏まで部活をやり過ごした。

8月、先輩方が引退してからすぐに私は部内でソロコンテスト出場の最有力候補と噂されるようになった。
先生には去年の愛理先輩の結果を更新できるかもしれないとまで言われたが、出場する気にはなれなかった。
重岡先輩の伴奏に慣れてしまったこの身体が、他の伴奏を受け入れられる気がしなかったから。

彼の伴奏しか、私は知らないから。

知りたくなかったから。

まるで純潔を守るように、頑なに出場を拒んだ。

 

そんな過去と、苦い初恋を忘れたくて。
重岡先輩の幻影から逃れたくて。
私は高校卒業後、中学時代からの相棒であるフルートを手放した。
それでも唯一、あの古ぼけたルーズリーフだけは、まだ捨てられていない。

 

 

 

 

伴奏者とソリストの関係ってどことなくエロティックだなぁって、ソロコン出てた同級生見てて思ったのを覚えてます

アンサンブルも楽しいけどね🎷

虚妄はてなブログ 第11話

 

 

早く窮鼠見たい

舞佳ちゃんの回想です

 

↓↓

 

あれは、紛れもない初恋だった。

高校1年の春、クラスで仲良くなった結衣と2人で行った、吹奏楽部の見学。
私は中学のときも吹奏楽部だったけど、そこでの練習はすごく厳しかったから高校ではやらないつもりだった。
結衣に付き合って仕方なく見学に行ったとき、そこに彼はいた。
音楽室の窓際で外を眺める、物憂げな横顔。
白いカッターシャツが春風に揺れて、まるで天使の羽みたいだった。
重岡大毅先輩。
私たちの1つ上で、楽器はトランペット。
次の代の部長だと教えてもらった。

 

まるで引力に導かれるみたいに、気づいたら私は吹奏楽部の新入生として活動を始めていた。

 

中学時代からフルートをやっていた私は即戦力として認識され、夏の大会のメンバーに選ばれた。
けれどいくらメンバーとはいえ、先輩の足を引っ張る訳にはいかない。
朝から自主練をしようと、曇り空の中を学校に向かった。

 

「なにこれ…… 学校の怪談?」
それは、そんな独り言が漏れるほど、奇妙な空気だった。
私以外誰もいない、静かな廊下。
けど廊下の先にある音楽室からは、ピアノの音色が聴こえてくる。
なんだか怖くて、私は音楽室の外の廊下に椅子を出して練習することにした。
フルートは音が細いから、見つかってもうるさいと怒られることはないだろう。
練習をしている途中、私の耳は聞き覚えのあるメロディを拾った。
私たちが大会で演奏する予定の曲だ。
本来はパートに入っていないピアノなのに、寸分の音の狂いもなくメロディラインをなぞっている。
うちの部活の誰かが、練習をサボって弾いているのだろう。


何気なく、フルートで自分のパートを吹いて合わせてみる。
すると、中にいる人物も私の存在に気づいたのか、私の音色に寄り添って伴奏してきた。

その伴奏は優しく、私の音を包み込んだ。

音の波間に揺れているような、心地よい浮遊感すら感じる。

2人分の音がぴたりとはまり、爽やかで軽快なマーチのメロディが朝の学校に響き渡った、そのときだった。
曇り空から太陽が顔を出し、一気に青空が広がった。
神々しくて、美しい光景だった。
空に光の道ができ、私の持つフルートに金の鱗粉が輝く。
そのとき、私は鮮烈な直感を感じた。
抗いがたい衝動に突き動かされ、フルートを片手に音楽室のドアを開ける。
ピアノを弾いていたのは、重岡先輩だった。


天候すら操ってしまったかのような、私たちの音の競演。
先輩はこう言った。
《やっぱり舞佳ちゃんやったんや、あのフルート。》
《1人で吹いとるとこ聴いたことないのに、なんでかピンときたわ》
《俺たち、音の相性ええみたいやな。》

吹奏楽部員同士にとって、音の相性がいい、とは最高の殺し文句である。
私はその瞬間、彼に、彼が奏でる音に、恋に堕ちた。

高校1年生の夏。
身を焦がすような初恋が、動き始めた。

 

 

舞佳ちゃんが吹いていた曲はこれです

 

https://youtu.be/cnGvAxIRL9M

 

 

この曲めっちゃ好き

虚妄はてなブログ 第10話

窮鼠はチーズの夢を見るが見たい今日この頃


↓↓

朝5時半。
嵐の一日のはじまりを、私はお店のソファ席で迎えた。
夜の音楽会の後、ただの酔っぱらいと化した忠義くんを1人放置する訳にもいかず、私たちはお店に泊まり込みという選択を強いられた。
いつの間にか掛けられていたブランケットから抜け出し薄暗い店内を見回すと、ソファの側に大きな塊を見つける。
そこでは丈くんとかずくんが、忠義くんの大きな身体にもたれかかって眠っていた。
なかなか見ない光景に驚いたけど、なんだろう、なんか微笑ましい。
「ふふっ、くまみたい…」
その姿はいつか教育番組で見た冬眠中のクマの親子にそっくりで、思わず笑みが漏れた。
その光景を写真に収めて3人にブランケットをかけ、コーヒーでも飲もうと立ち上がった。

 

自分でいれたコーヒーを飲みながら、スマホをチェックする。
アプリの通知に混じって、結衣からの連絡があった。
なんだろう?と思って既読をつけると、電話が鳴る。
結衣からだった。

「もしもし?結衣どうしたの?」
〈あ、舞佳ごめんね。あのさ、今出張で大阪にいるから、お店行ってもいい?〉
「いいけど、今日台風なんでしょ?大丈夫なの?」
〈うん。車で来てるから。〉
「そっか。結衣が来てくれるなんて嬉しい。場所送るね!」
〈あとね。〉
〈舞佳に、話さなきゃいけないことがあるの〉

そう言って、結衣は電話を切った。


数年に一度の大型台風が接近する朝、親友が東京からやってくる。
話さなきゃいけないことって、なんだろう?

〔電話してたん?〕
顔を上げると、いつの間にか起きていた丈くんが向かいに座っていた。
「うん。東京にいる友達が、出張のついでにお店来てくれるんだって。」
〔そか。よかったやん。〕
『なあ、今の電話って結衣さんから?』
かずくんも起きてきたから、私は2人に結衣に言われたことを話す。
〔電話じゃ話せへん、ってことなんかな?〕
「そうなのかな… 」
『台風の日にわざわざ来るって相当ちゃう?』

〔というか、その前に大倉さんなんとかせなやばない?〕
丈くんの一言で我に返った私たちは、忠義くんを3人がかりで叩き起しはじめた。
私たちによって冬眠から引っ張りだされた彼は電車が止まる前に帰れと丈くんによって放り出され、お店は私たち3人だけになった。

 

しばらくそうしていただろうか。
外で車の音が聞こえた。
扉を開けて中に入ってきた親友と、私は1ヶ月半ぶりの再開を果たした。

 

結衣に丈くんを紹介し、テーブル席にうながす。
かずくんがいれてくれたコーヒーを1口飲んだ結衣が、こう言った。
〈ねぇ舞佳、重岡先輩って、覚えてる?〉
「…うん。」
〈…先輩、結婚するんだって。〉
〈相手の都合で結婚式大阪でするみたいなんだけど、舞佳にウエディングケーキと引き出物のお菓子、頼んでくれないかって連絡きて……〉
〈紹介するの、断りきれなかった。本当にごめん!〉
「…… そっか。 大丈夫。結衣、先輩に連絡取れる?」
「やります、って、言ってほしい。」
〈で、でも舞佳!〉
「大丈夫。もう10年も前のことなんだよ?」
「今さら変な真似しないって。」
〈舞佳…… ごめんね。〉
「ウエディングケーキ、作ってみたかっんだ。結衣、わざわざありがとう。」

結衣は、お詫びにといって私が焼いたマドレーヌを購入し、お店を出て行った。
3人きりの店内に、沈黙が宿る。
破ったのは、丈くんだった。
〔なぁ舞佳、何があったん?〕

「私のね、バカな初恋なの。」
「かっこ悪いけど、聴いてくれる?」

 

 


重岡くん出したかったから嬉しいです☺️☺️
次回は舞佳ちゃんの回想編になります

虚妄はてなブログ 第9話

 

この展開はお風呂入ってる間に思いつきました

 

↓↓

オープンから1週間。
忠義くんが載せてくれた記事のおかげか、はたまたアイドル顔のイケメンである丈くんとかずくんのおかげか、とにかくお店はかなり繁盛していた。
20:00、閉店時間
時計の鐘が鳴った瞬間、表にclosedの札をかけに行った私は、大きく息をついた。きっと、中でレジ締めをしていた丈くんも、食器を拭いていたかずくんも同じだろう。
疲れが、泥のように身体にまとわりついていた。
「私、人生で1番忙しい1週間だったかも…」
『俺、もう最後の方の記憶ないわ…』
〔やばい、死にそう、〕
近くにあった椅子に座ってだらける私、かずくんはピアノのある壁にもたれて座り込み、丈くんはレジカウンターに突っ伏す。

 

そんな気味の悪い静寂を、ドアベルの音が切り裂いた。

《おい若者たち、へばっとんなぁ》
仕事終わりに覗きに来たであろう忠義くんが、死体のようになっている私たちを見て呆れている。
「若者たちって、忠義くん7歳しか変わらないじゃん」
『俺らほんま忙しかったんやで?!』
〔そやで、大倉さんやって俺らぐらいんときこうやったやん!〕
ピーピー鳴く雛鳥のような私たちに苦笑した彼は、右手にぶら下げていた袋を掲げてこう言った。
《まぁお疲れさん。飲もうや。》


多分、自分が飲みたかっただけなんだろう。
忠義くんはまたオジサンみたいなことを言いながら、丈くんにひたすら絡んでいる。
《丈も舞佳も和也もほんまかわいいなぁ〜 》
《俺の子になってやぁ、かわいがったるで〜》

…… 正直ちょっと、気持ち悪い。

 

私とかずくんは、私が作った特製オレンジジュースを飲みながらその光景を眺めていた。
かずくんがふと口を開く。
『そういえば、このピアノってなんであるん?』
オープン前、丈くんと剣呑な邂逅を果たしたときからずっとある、黒いアップライトピアノ
このピアノの音はこの中の誰も、まだ聴いたことがない。
〔前のオーナーやった人が置いてったらしいで。」
〔もうインテリアになってもうとるけど、まだ弾けるんちゃうかな〕
忠義くんに絡まれながら、それでもオーナーらしく丈くんが言った。
〔誰かピアノ弾けるやつおらんの?〕
「私弾けるよ、ちょっとだけなら。」
そう言って、イスのないピアノの前に立つ。

ポーン。
記憶にあるピアノの音よりも軽く、清らかな音だった。
その音を聴くと、必ず蘇る光景がある。
夕暮れの音楽室、誰かが忘れたリコーダー。
紺色のブレザーと、銀色のフルート。
大きな笑い声と、優しい瞳。

記憶の奔流に指先が、唇が突き動かされる。
気づいたら、ピアノを弾きながらハミングで歌っていた。
歌詞はない。曲名も知らない。
けど大切な曲。
あの人に、教えてもらったから。


これはいわゆるコラール。つまり、賛美歌。
それならばこのカフェはさしずめ教会だろう。
観客は3人だけ。
私の思いを知る人は、ここにはいない。
その小さな音楽会は、この歌声がすっかり酔っぱらった叔父の子守唄になるまで続いた。


奇妙だけど、穏やかな夜だった。
そういえば、明日は嵐らしい。

 

 

 

次から書きたかったエピソードいけるのでめっちゃ嬉しいです

 

舞佳ちゃんが弾いているコラールのモデルです

https://youtu.be/rXSgb6wbe74

 

虚妄はてなブログ 第8話

 

授業中にミュートにし忘れてzoom上にダイヤモンドスマイルが響き渡ってしまいました

↓↓

 

〔店の名前、どうしよか〕

 

丈くんがそんなことを言ったのは、オープンまであと1週間に迫ったある日のことだった。
「まだ決まってなかったんだ……」
〔おん。そろそろ決めな大倉さんに怒られるわ…〕
「忠義くん、雑誌で宣伝してあげるって言ってくれたもんね。」
〔雑誌社に勤めとる人が知り合いってやっぱ強いよな。〕 
あれから、忠義くんは仕事の合間を縫ってたまに様子を見に来てくれた。
というより、丈くんが泣きついた、という方が正しい。
丈くんは家具の組み立てにトラウマを持ってるけど、私もかずくんも手を使う仕事だから頼めなかったらしい。
忠義くんは家具組み立ての謝礼としてかずくんのご飯と私のお菓子を要求したから、最近は4人で夕食を食べることが多かった。

そうしてテーブルと椅子も揃った店内で、私と丈くんはお喋りをしていた。
かずくんは食材の買い出しに行っていて、そのせいかお店の中はちょっとだけ静か。

 

それまでアイスティーを飲んでいた丈くんの視線が、ふと私のエプロンに落ちた。
〔それ、大橋が作ったんよな?〕
かずくんが作ってくれた、オリジナルのネームプレート。
自分たちで選んだカラーは私は白、丈くんはコバルトブルー、かずくんはミントグリーン。
英語で名前が入ってて、シンプルだけどかっこいい。
「うん。センスいいよね、かずくん。」
「自分の名前、英語で見るのなんて学生時代以来かも。」
〔…なぁ、舞佳 って名前の由来、何なん?〕

 

「…お母さんが生まれたばかりの私をあやしていたとき、病室に蝶が迷い込んできたんだって。」
「でもね、私12月生まれだから、そんな時期に蝶なんているはずないの。」
「だからその時お母さんは、"これは神様からのメッセージだ"って思ったんだって。」
「蝶が舞うように美しく、佳き人生を って意味で舞佳、らしいよ」
〔蝶、……〕
「この話したの、かずくんと丈くんだけ。」
〔やっぱり、大橋か…〕
「ん?」
〔いや、なんでもない。〕
その後何を話したか、実はあまり覚えていない。
ただ、丈くんとかずくんが大学時代に違う学校なのに全く同じ第二言語を履修していた。という話だけは、やけに覚えてるんだけど。


次の日の朝、お店に入るなり丈くんが言った。
〔店名決めたんやけど、どうやろ?〕
それは丈くんがいつも使っているノートに、やけに熟れた筆記体で書かれていた。

"Mariposa "

『…… 丈くん、ほんま、こういう時だけ』
スペイン語、万年最下位やった言うとったんに』
「え、これスペイン語なの?」
『…そやで、意味はな…』
〔ちょ、やめろや大橋!〕

かずくんに耳打ちされた後、私は拗ねている丈くんのところに駆け寄った。
「ありがとう、丈くん。」
〔別に、いいなって思っただけやから。〕
「でも、いいの?丈くんは、この店のオーナーなのに。」
『何言うてるん、舞佳ちゃん。』
『舞佳ちゃんがおらんかったら、この店はないんやで?』
〔…そやで。ここは、俺と、大橋と、舞佳の店やから。〕
「…… ありがとう、丈くん、かずくん。」
私は、さっそくこれをお菓子のアイデアにしようとキッチンに入る。
丈くんとかずくんが何か話しているのを見ながら、幸せな気持ちでレシピノートを開いた。


〔おい、いいとこ取りはお前やろ、大橋〕
『丈くんこそ、こっすいわぁほんま』
〔たまには俺にも譲れや、そのポジション〕
『ええよ。…なんて、言うと思う?』

 

 

Mariposa (女性名詞)
訳: 蝶

 

 

 

 

大橋くんがなんだか黒い

虚妄はてなブログ 第7話

今日めっちゃ眠い

 

↓↓

 

《いやー、まさか丈のビジネスパートナーが和也と舞佳やったとはなぁ…》
《……大きなったんやな、2人とも。》
《お兄ちゃん嬉しいで。》

忠義くんが1人でオジサンみたいなこと(まぁ本当に叔父さんではあるんだけど)を言っているのを後目に、私とかずくんは2人がかりでまだ混乱している丈くんに説明していた。
丈くんの言う「大倉さん」が私たちが言った「忠義くん」であること。
彼は私とかずくんのお母さんたちの年の離れた末の弟で、私とかずくんにとってはお兄ちゃんみたいな存在であること。
忠義くんは所属していたサークルのOBで、よく目をかけてもらっていた、と丈くんは言った。

数分後、事実をようやく咀嚼したらしい丈くんが、大きな瞳を見開いてこう言った。
〔考えてみればなんかすごいよな!!やって、俺の先輩が、大橋と舞佳に縁がある人やったんやで?〕
〔やっぱ俺ら繋がってたんやなぁ。お祝いしようや、大倉さんもいれて4人で!〕
「…ねぇかずくん、忠義くん。」
「前から思ってたんだけどさ、丈くんって、かわいいよね。」
『わかるわぁ。ピュアなんよね。』
《わかる。かわいがりたくなるよな》
〔男に向かってかわいいって何なん?!〕


丈くんはさっきの会話ではぷんすこ怒っていたけど今は忠義くんと向き合って打ち合わせ中。
私とかずくんは、キッチンで仕込み、という名の今日のメニュー作り。
さっき丈くんが言ったお祝いの件を忠義くんが二つ返事で了承したから、今日の夕飯はここで食べることになった。
お祝いのケーキは、甘いものが苦手な丈くんと忠義くんのためにチーズケーキ。
オーブンに入れたケーキの様子を見ていると、
かずくんが近づいてきて私に何かを渡してきた。
『舞佳ちゃん、これ。結衣さんが渡してったやつ。』
東京を離れる日、結衣がくれたプレゼントだ。
ラッピングを剥がし、箱を開けてみる。
「わぁ… かわいい…」
結衣が勤めている化粧品メーカーの、ハンドクリームとボディークリームのセットだった。
『これ有名なやつやんな、ええ匂いするって。』
「うん。匂いだけ嗅いでみる?」
容器の蓋を開け、かずくんに渡そうとした。
けど出来なかった。
彼が、私の手首ごと引っ張り、指先に顔を寄せてきたから。
『ほんとや、ええ匂いやなぁ。』
きっと今私の顔は真っ赤だ。
「そ、そうだね! 」
大胆な行動は、心臓に悪い。
まだ波打つ鼓動を抱えて、私はオーブンに向き合った。
取り繕っていたつもりだったけど、相当上の空だったのだろう。
チーズケーキの端が、少し焦げてしまっていたから。

 


かずくんの作ったご飯と、私の作ったチーズケーキ。
お酒(忠義くんは私たちが知る限りでは最強のザルだ)も入って、みんなずっと笑っていたような気がする。
私とかずくんは小さい頃の恥ずかしいエピソードを暴露され、丈くんはかずくんとの中学時代のテストについて論争してたっけ。
気づいたら、もう0時を回っていた。
お酒に弱い丈くんは、忠義くんに潰されて部屋の隅で呻いてる。
忠義くんとかずくんはまだ飲んでるけど、私も眠くなってきた。
丈くんの隣に座って、壁にもたれて眠ることにした。

 

《なあ和也、まだ好きなん?》
『忠義くんには、言うたらんし。』
《 …まぁええけど。お前らは、俺のかわいい妹と弟やから。》

《自分に嘘だけはつくなよ、和也。》

2人がこんな会話をしていたことも、潰れていはずの丈くんがこれを聴いていたことも。
私はまだ、知る由もなかった。

 

 

 

 

虚妄でもドラマでも三角関係が動き出した感ってめっちゃ楽しいよね